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2002年5月27日 / 朝日新聞夕刊<綺羅星春秋>より

 

 僕ね、障害者手帳持ってるんです。29歳の時、留学先のローマで交通事故に遭って、今も右足首が上に動かない。それで、右足の踏ん張りがあまり利かないんです。だから時々、グランドピアノに右手を添えながら歌うんですけど、実はその手で体重を支えているわけ。
 けど、シャンと立っているから、見た目にはわからないでしょ。お客さんの前でぶざまな格好は見せられませんからね。15年前から、トレーニングセンターに通って足腰を鍛えているんです。
 舞台の上では、「老けたな」って感じたことはありません。もっと、もっと、うまくなりたい。いつもこの繰り返しですねえ。リサイタルは年40回ほどですが、歌い終わって満足することなんて、数年に1曲ぐらい。思いのたけをすべて込めて一つの歌を歌い上げるのは、この年になっても難しいですよ。
 でも、80歳になったらね、もっといい声で歌えると思っているんです。だって、音楽は人間の感情を歌っているんだもの。僕らは年を取ることで、心が豊かになっていくでしょう。ワインがまろやかに熟成されていくようにね。
 いつか、声が出なくなる日が来るでしょう。アリアの音域は普通、2オクターブですけれど、そのくらいがこなせなくなったら引き際ですね。その瞬間は自分で気付くはず。舞台を降りたら、マネジャーにこう言おうと決めているんです。「もう、仕事取らなくていいよ」ってね。
 でも、それで僕の音楽が終わるわけじゃない。6年前から、歌もせりふも全部日本語で上演するオペラに取り組んでいます。演出、台本も手がけて。わかりやすくて楽しいオペラを広めたいな あ。

(渡部耕平)


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