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「あの名場面 あの名調子」五輪走馬灯(11)より、岡村喬生先生についての部分を抜粋して掲載致します。

2008年7月8日 朝日新聞夕刊 「ニッポン人・脈・記」

 

 1960年のローマ五輪。イタリアで声楽を学んでいた貧乏留学生、岡村喬生(76)は、NHKの放送のアルバイトで食いつなぎ、1ヵ月後にあったコンクールで優勝、欧州で将来性が認められた。そして、国際的なオペラ歌手の地位を築いていく。
「五輪がなかったら、日本に帰ってコーラスボーイに逆戻りしてたかもしれない」
 日本では初めての五輪のテレビ放送だった。現場を走り回ったのはバイトの岡村、そして、NHK入局10年目のアナウンサー土門正夫(78)の2人だけ。通訳、アシスタント、運転手。すべてを岡村はこなした。
 陸上、水泳、サッカー会場にだけあるNHKの席。そこにおかれたモニターに、ほかの競技の映像を流してもらい、土門が実況する。その横で、岡村が、あと何分で競技が切り替わる、などのメモを渡した。
 そうやって映像と音声をビデオテープにおさめ、空輸した。だから、日本のテレビに流れる映像は2〜3日遅れだった。寝る時間が2人ともほとんどなく、岡村は、いちど倒れた。

(酒瀬川亮介/文)

画像は60年ローマ大会で、実況する土門正夫さん(左)と、補助する岡村喬生さん=土門さん提供


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