2009年3月15日 / 産経ニュース


【私のイチバン!!】バス歌手・岡村喬生 食道楽 人生を彩る喜びの泉
 

 圧倒的な声を響かせ、ヨーロッパの歌劇場で、大向こうをうならせてきた。あたたかく、強く、やわらかで威厳のあるバスの声は、年輪を重ねるごとに深みをたたえている。「年を経るごとに人生の喜びは増し、突き進むべき道はさらに続く」という大御所は、食の楽しみに活力を得て、さらなる先を見つめる。(谷口康雄)

 「テレビのグルメ番組を見ていると、人生をどれだけ味わったのだろうかと思う若い人が出てきて、しきりにうまい、うまいと感嘆を漏らしています。でも、それがどれほど説得力があるのか、どうも私には疑問です」

 新聞記者を志し、大学の新聞学科に進むが、グリークラブに入るや、自分の“声”を見つけて、ヨーロッパで音楽修業の道に進んだ。「人生はどの方向に進むのか、若い時には分からないものです。ただ、言葉を使い、生身の体で表現する歌手となるならば、外国語を身につけるのは当然のこと。音楽が奏でられる場所、生み出された時代も含めて、風土や歴史など、文化のすべてを受け止め、自身の血となり、肉としなければ、人を感動させる歌とはなりません」と言葉を強くする。

 「音楽をすることは、自分の人生をそのまま示すこと。何をして、何を考え、どう生きるかを探り、時間を積み重ねて得たものが、舞台の上に表れます。何事も時間が必要です。食についても同様。年齢を重ねて初めて本当の味が分かるものです」

 ドイツ、オーストリアの劇場で研鑽(けんさん)を積み、夭逝(ようせつ)した名指揮者、イシュトバン・ケルテスの信望を受け、世界のひのき舞台を踏んできた。豊富な経験と卓越した知識で、文化、社会が抱える問題に対し、鋭い指摘を行いながら、音楽がもたらす本当の豊かさを探る。


(荻窪佳撮影)

 ケルテスに招かれ、イスラエル・フィルと共演したとき、そのゲストハウスで豪勢な食卓も堪能した。「どんな名店で何を食べるかは目的ではなく、自分の目で確かめ、本当の本物であるかが分からなくては、意味がありません。音楽も食も、人生のひとときでも欠けてはならないものであり、日々に新しく、いつも新鮮な喜びを運んできます」

 20日には東京文化会館(上野)でライフワークとするシューベルト「冬の旅」全曲演奏会を行う。恋を失った若者が、極寒の情景を放浪する歌曲集だが、「年を重ね、歌うたびに、世界が広がり、奥行きが深くなる一方」と食と同様、探求の道は尽きない。

 「シューベルトの3大歌曲集のうち、『美しい水車小屋の娘』も恋に破れた若者が主人公ですが、最後に若者が入水を遂げて話の先はありません。しかし、『冬の旅』では、決して癒えることのない心の傷を負った若者は、寒さに耐えながら音楽を奏でる辻音楽師に出会い、自身の心の置きどころをみつけます。彼はあてどのない旅を続けて物語は終わることがありません。私は旅の行方を探して、歌い続けているのでしょう」

 ピアノは1928年、オーストリア生まれの重鎮、イェルク・デームス。問い合わせ(電)03・3501・5638。

【プロフィル】岡村喬生
 おかむら・たかお 昭和6年、東京生まれ。早稲田大を経てローマ・サンタチェチーリア音楽院卒業。オーストリアのリンツ市立歌劇場、ドイツのキール、ケルン歌劇場で第一バス歌手として契約し、ヨーロッパを本拠に活躍。オペラの演出、執筆、講演、俳優などでも知られる。
 
【出典・産経ニュース】http://sankei.jp.msn.com/entertainments/music/090315/msc0903150853002-n1.htm

岡村先生のご許可を戴き、掲載致しております。